指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
流行なんて、文字どおり流れていく
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない
コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない
急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
壁は自分自身だ
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
さぁライヴハウスへ帰ろう
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
Our life is our art.
人生はアートだ。
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
時間は私たちに残された数少ない大切なものだ
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
自分じゃない自分を出すのが怖い
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
誰のようにもなりたくない
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。