市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
その日、歩ける一歩を歩くだけ
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
生涯、創造者でありたい
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
神は勇者を叩く
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
苦痛は短く、喜びは永遠である
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
夢を飼い殺しちゃいけない。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
冒険こそが、わたしの存在理由である
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
芸術は、意識と無意識の融合である
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
仕事は点ではなく線だ
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
破壊こそ創造の母だ
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
運が悪かったんだよ …お前等は
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争が無くなること、それが俺の夢です!
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
ルール破ってもマナーは守れよ
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
”世界”というのは自分の中にあるんです
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
絵画というのは手で作った写真だ
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
色彩は、それ自体が何かを表現している
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。