私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
最初にして最高の聴き手は自分自身
(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。
音を出すことで何を伝えたいのか
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
絵画というのは手で作った写真だ
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
人間の運命は人間の手中にある
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
何があっても、賛成反対両方あるのは自然。
みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
退屈を怖がってちゃいけない
俺は錦みてえにはなれねえよ
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている
ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)
愛は人生において、最も優れた栄養源である
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
笑ってくれりゃあ本望だよ
腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
生涯、創造者でありたい
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
最も重要なことから始めなさい
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。