己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
曲作りの勉強は独学です
子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
仕事は点ではなく線だ
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
この世界中の人口の1%の人たちが世界中の富の90%を持ってて、残りの99%の人たちが残り10%の富を持ってるんだってよ。俺らはそんな世の中クソくらえって思うんだ。でももしかしたら(音楽で)こんな世の中変えていけるんじゃねーかって思ってる奴の人口の方が多いんじゃねーかって思ってる
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
みんなの前で歌わんかったら下手になる
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ
大金を持った貧しい人のように暮らしたい
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
悪い種子からは悪い実ができる
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
偽物が本物に変身する瞬間がある
文明とは、麻痺状態のことだ
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
飛べないホソミはただのタケシだぜ
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。