


被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

ルール破ってもマナーは守れよ

やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

生きてると後悔はつきもの

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ

「夢は全部かなう」って僕は言うし、今でもそう本気で信じてる。夢はかならずかなう。かなわない夢はないよ。これ、本気だよ?1ミリもブレたことがない。100パーセント、誰の夢もかないます。

大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった

想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる

計画とは未来に関する現在の決定である

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ

All we are saying is give peace a chance!
僕らが言っているのは、平和にチャンスを与えようということだけだ!

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

傑作なのか屑なのかわからない

Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。
