私は自分がやりたいことをやっているだけ
ルール破ってもマナーは守れよ
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
夢を飼い殺しちゃいけない。
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
創造性の最大の敵は良きセンスだ
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
人間の運命は人間の手中にある
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである
「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている
幸せのまんま放っておいてほしい
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない
私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
複雑なものはうまくいかない
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
音を出すことで何を伝えたいのか
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)
他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる
黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
癌もロックンロールだ。
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。