


日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

わしがゾンビになったらそりゃお前 世界の破滅やろ?そん時このわしを止められんのは……桐生ちゃん お前だけや。頼めるな?

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

やり方を学ぶ

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

見るために、私は目を閉じる

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。

仕事は点ではなく線だ

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

自分は燃え尽きることは一生ない

後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う

レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。

意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ

ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
