


私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

彫刻は、凹凸の術である

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

約束の額だ・・・悪く思うな。

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ

上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。

音を出すことで何を伝えたいのか

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

愛の光なき人生は無意味である

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って

やらないってのも一つの行動だと思う

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

感情が伴わない作品は、芸術ではない

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する

残る音楽を作りたい

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

美はざっと見てもわからない

赤がなければ、青を使います

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

ここ何県?(ロサンゼルスにて)

みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

芸術愛は真の愛情を失わせる

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?

Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
