


ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである

俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ

まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました

I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

芸術は、意識と無意識の融合である

ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

人間の運命は人間の手中にある

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

目標に達するまでの道筋を多くしないこと

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

その瞬間に爆発していればカッコいい

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

思い出すのは、あんまよくないよ

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

正義の尺度は声の多数ではない

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

先に見出し、後に捜し求めよ

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。

人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。

人間は、毎日生まれ変わる

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある

飛べないホソミはただのタケシだぜ

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

破壊こそ創造の母だ

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

計画とは未来に関する現在の決定である

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
