桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
第一番に稚心を去らねばならぬ
ロックンロールは続いていくんだよ
フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
理論というものは現実に従って変化していく
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ
真実のほかに美はない
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ
あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから
If you tried to give rock and roll another name, you might call it ‘Chuck Berry’.
ロックンロールに別の名前をつけるなら、それは「チャック・ベリー」だね。
Yeah we all shine on, like the moon, and the stars, and the sun.
そうさ、僕らは輝けるんだ。月のように、星のように、太陽のように。
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
星なんて見えなくたって心の中にありゃぁいいし、なきゃ唄えばいいし、唄えないまま死んだって全然OKだし、だからお前なんか大嫌いだけど大好きなんです。
運が悪かったんだよ …お前等は
彫刻に独創はいらない。生命がいる
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
やるからにはナンバーワンを目指したい
自分を肯定するために一所懸命考えるんだ
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
大事は寄せ集められた小事によってなされる
毎回が真剣勝負
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
笑ってくれりゃあ本望だよ
生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
そやったわ。わし花粉症やったわ。
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
破壊こそ創造の母だ
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
今真剣なんだ。邪魔するな!
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
いつだって、今やるのが一番いい
せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
ルール破ってもマナーは守れよ
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
やり方を学ぶ
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。