


人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

何、ちょうど打ちたかったところだ・・・・ひねくれたカーブをな

夢見ることをやめてはいけない

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

星なんて見えなくたって心の中にありゃぁいいし、なきゃ唄えばいいし、唄えないまま死んだって全然OKだし、だからお前なんか大嫌いだけど大好きなんです。

歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない

僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。

太陽のように生きて、太陽のように死にたい

ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

ひらめくまで待つ

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない

色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。

自然に線は存在しない

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

愛は人生において、最も優れた栄養源である

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

苦痛は短く、喜びは永遠である

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
