


わしがゾンビになったらそりゃお前 世界の破滅やろ?そん時このわしを止められんのは……桐生ちゃん お前だけや。頼めるな?

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

傑作なのか屑なのかわからない

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

私はいつも、まだ自分ができないことをする

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

幸せのまんま放っておいてほしい

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ

癌もロックンロールだ。

より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。

人に善をなせば、とがめられるものだ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

夢見ることをやめてはいけない

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

飛べないホソミはただのタケシだぜ

絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
