


じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

若い時から優れた作品に触れることが重要

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする

お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に…でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

Our life is our art.
人生はアートだ。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。

The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

創造の最大の敵は「良い」センスだ

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!

完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

僕は楽しいから、成功していると思う

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

基本的に私は家の中で曲を作る

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。

若さと年齢は無関係

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない

All we are saying is give peace a chance!
僕らが言っているのは、平和にチャンスを与えようということだけだ!

みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

真実のほかに美はない

志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
