


私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ

何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる

俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを

心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

いつだって、今やるのが一番いい

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

先に見出し、後に捜し求めよ

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

盗作は情けない

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。

21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである

女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました

たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

ああ、俺にもできそうだ!

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
