詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
音を出すことで何を伝えたいのか
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!
優れた医者というのは、正しい診断を最も多く下す人ではない。誤った診断をすばやく見つけ、それを直ちに改めることのできる人である
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
若くなるには時間がかかる
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
流行なんて、文字どおり流れていく
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
思い出すのは、あんまよくないよ
死に方は生き方、生き方は死に方。
When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
創造の最大の敵は「良い」センスだ
冒険こそが、わたしの存在理由である
経営者は常に現実的でなければならない
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
自然に線は存在しない
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。
かぶりついて仕事せよ
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
全部は混沌としてるから面白い
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
自分じゃない自分を出すのが怖い
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
大金を持った貧しい人のように暮らしたい
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。