


出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

その日、歩ける一歩を歩くだけ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。

イノベーションを成功するためには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。具体的なことだけに絞らなければならない

俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ

学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

現状を把握しなければ未来は語れない

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)

Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

世界史は世界審判である

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

大事は寄せ集められた小事によってなされる

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

決断の場面においてはトップは常に孤独である

想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない

女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

仕事じゃなくてもやるもんね!

俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった
