


この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

自分じゃない自分を出すのが怖い

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

目標に達するまでの道筋を多くしないこと

何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む

優れた医者というのは、正しい診断を最も多く下す人ではない。誤った診断をすばやく見つけ、それを直ちに改めることのできる人である

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする

売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない

さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって

孤独の中では何もできることはない

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

運が悪かったんだよ …お前等は

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした

腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

人間の運命は人間の手中にある

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

ロックの基本は愛と平和だ。

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

癌もロックンロールだ。

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

生まれたからには、生きてやる。

酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。

俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。

ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。
