


子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

自分にいろんな矛盾があることが当然

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから

芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

赤がなければ、青を使います

この世界中の人口の1%の人たちが世界中の富の90%を持ってて、残りの99%の人たちが残り10%の富を持ってるんだってよ。俺らはそんな世の中クソくらえって思うんだ。でももしかしたら(音楽で)こんな世の中変えていけるんじゃねーかって思ってる奴の人口の方が多いんじゃねーかって思ってる

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい

人に善をなせば、とがめられるものだ

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き

好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ

最高で当たり前なんだよ

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

死に方は生き方、生き方は死に方。

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。
