自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
人の評価なんかどうでもいいし
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
天才になるには天才のふりをすればいい
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
「お客様は神様」ですから
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
彫刻に独創はいらない。生命がいる
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
嫌われることは愛されることより難しい
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと
ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
自分にいろんな矛盾があることが当然
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
本気も本気 “大本気” や!
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
リンゴひとつでパリを征服する
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
自殺はやめろ。生きろ。
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
組織は常に進化していなくてはならない
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる
もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。
汝が死ぬ前日に懺悔せよ
People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
運が悪かったんだよ …お前等は
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
真理に年齢はない
何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。