昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
基本的に私は家の中で曲を作る
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
わたしは立ち止まりはしない
北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?
上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
人生の目的は悟ることではありません。生きるんです
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
Our life is our art.
人生はアートだ。