横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
ベイビーアイラブユーだぜ!
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
曲作りの勉強は独学です
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ
現状を把握しなければ未来は語れない
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
若い時から優れた作品に触れることが重要
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
愛は人生において、最も優れた栄養源である
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
第一番に稚心を去らねばならぬ
残る音楽を作りたい
信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
All we are saying is give peace a chance!
僕らが言っているのは、平和にチャンスを与えようということだけだ!