「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる
俺は錦みてえにはなれねえよ
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
その瞬間に爆発していればカッコいい
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである
天才になるには天才のふりをすればいい
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね
人間は、毎日生まれ変わる
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
最高で当たり前なんだよ
あなたの日常は唄になるんです。
約束の額だ・・・悪く思うな。
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。
Women… I mean, they are the other half of the sky, and without them there is nothing.
女性っていうのは…つまり空の半分のようなもので、女性なくしては何もないのと同じなんだ。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
曲作りの勉強は独学です
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。
『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる
偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
わたしは立ち止まりはしない
作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。