


仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

やっぱり私は表現をする事が好きやなー

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

芸術は、意識と無意識の融合である

意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

ロックンロールは続いていくんだよ

幸せのまんま放っておいてほしい

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

天才のランプは人生のランプより早く燃える

選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い

あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

君はあなた自身を創造していると思いなさい

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

人間は、毎日生まれ変わる

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

平等は人道の神聖な法則である

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!

人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

人に善をなせば、とがめられるものだ

今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

感情が伴わない作品は、芸術ではない

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
