


普通なことが特別で特別であることが普通なこと

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

愛は人生において、最も優れた栄養源である

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である

帰ってきたぜ!もうどこにも行かないぜ!(アベ加入後、初のライブにて)

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

We’re more popular than Jesus now; I don’t know which will go first, rock ‘n’ roll or Christianity.
ビートルズは今やキリストより人気がある。どっちが先に消えるかな、ロックンロールかキリスト教か。

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

口先だけじゃ海を越えられないのさ

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
