


もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

生きているうちに天才って言われたい

あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?

大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

組織は常に進化していなくてはならない

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね

I’m not afraid of death because I don’t believe in it. It’s just getting our of one car, and into another.
僕は死を恐れていない。だって、死というものを信じていないから。死とは、1台の車から降りて、別の車に乗り換えるものだからね

かぶりついて仕事せよ

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。

ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

苦痛は短く、喜びは永遠である

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。

いつだって、今やるのが一番いい

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ

音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

退屈を怖がってちゃいけない

平等は人道の神聖な法則である

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
