常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい
若さと年齢は無関係
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
人生は退屈すれば長く、充実すれば短い
デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ
人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ
神に誓うな、己に誓え
私は捜し求めない。見出すのだ
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
大好きなものと付き合っていくことだよ
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか
学問は生涯を通じて心掛けねばならない
生きてると後悔はつきもの
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
仕事は点ではなく線だ
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
本気も本気 “大本気” や!
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。