人生は、水平方向に落ちていくことである
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
手には、物を掴む手と放す手がある
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
死に方は生き方、生き方は死に方。
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
いや、40年と30秒だよ
何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
ガキンチョだますのがロックだと思う
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと
自然に線は存在しない
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
真実のほかに美はない
ロックの基本は愛と平和だ。
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
”世界”というのは自分の中にあるんです
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。
「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
生きているうちに天才って言われたい
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。