希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
人に善をなせば、とがめられるものだ
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
世界史は世界審判である
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
芸術は何かっていうと、抑制だよね
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
若くなるには時間がかかる
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
赤がなければ、青を使います
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である
お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい
いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
自分にいろんな矛盾があることが当然
俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる
自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
やり方を学ぶ
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
自分を肯定するために一所懸命考えるんだ
せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
忍耐もまた行動の一つの形態だ
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
仕事は点ではなく線だ
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
真理に年齢はない
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。