何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
世界史は世界審判である
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
自分が興奮できないようなものではダメ
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
癌もロックンロールだ。
横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
生きてると後悔はつきもの
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
死に方は生き方、生き方は死に方。
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
一度志を立てた以上は、何よりもまず目的を定め、少しの時間も無駄にせず、確実な道を歩んで、その目的を達成するように努力するのがよい
音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
自分にいろんな矛盾があることが当然
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。