


ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。

生涯、創造者でありたい

女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

”世界”というのは自分の中にあるんです

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

煮詰まったらドラクエやる

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

アバウトは健康にいい

目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

愛は人生において、最も優れた栄養源である

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

やり方を学ぶ

明日描く絵が、一番すばらしい

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。

仕事じゃなくてもやるもんね!

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを

私は天才を自覚している

「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
