エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
夢を飼い殺しちゃいけない。
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
やらないってのも一つの行動だと思う
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
全部は混沌としてるから面白い
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
美はざっと見てもわからない
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
天才のランプは人生のランプより早く燃える
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
癌もロックンロールだ。
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
行動がすべての成功の鍵だ
過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
曲作りの勉強は独学です
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい
さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。