


暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても

銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

And so this is Xmas for black and for white, for yellow and red, let’s stop all the fight.
黒人そして白人のための、アジア人そしてアメリカ先住民のためのクリスマスなんだ。すべての戦いをやめよう。

退屈を怖がってちゃいけない

その瞬間に爆発していればカッコいい

本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

生涯、創造者でありたい

優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

芸術は、意識と無意識の融合である

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

壁は自分自身だ

Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

最後は直感なのだ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね

ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

組織は常に進化していなくてはならない
