僕は一貫して自己満足です、めざすものは
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である
幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること
紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に…でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ
芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
ベイビーアイラブユーだぜ!
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
基本的に私は家の中で曲を作る
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい
九州は暑いね。君らはこんなあったかい所に住んでるけど、北の寒い所に住む子らとは人生が違うんだよ。例えば……気温。(福岡ライブにて)
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
神は勇者を叩く
組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。