夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。
Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。
全部は混沌としてるから面白い
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。
When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。
学問は生涯を通じて心掛けねばならない
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
詩人は未来を回想する
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。