


曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。

ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

音を出すことで何を伝えたいのか

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

全部は混沌としてるから面白い

馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ

Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。

Our life is our art.
人生はアートだ。

We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!俺を東城会に戻したかったら俺に勝ってから命令せぇや。

……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

現状を把握しなければ未来は語れない

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む

人生は、水平方向に落ちていくことである

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください

お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

正義の尺度は声の多数ではない

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌

1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
