


他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う

お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

行動がすべての成功の鍵だ

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

お先真っ暗はすげー前向きな言葉。

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない

全部は混沌としてるから面白い

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

創造の最大の敵は「良い」センスだ

悪い種子からは悪い実ができる

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

口先だけじゃ海を越えられないのさ

「お客様は神様」ですから

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

真摯さはごまかせない

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……

やっぱり私は表現をする事が好きやなー

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります

純粋に泣けてしまうことって本当にある

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
