ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)
夢を飼い殺しちゃいけない。
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ
俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
想像できることは、すべて現実なのだ
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
さぁライヴハウスへ帰ろう
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください
なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
そやったわ。わし花粉症やったわ。
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
悪い種子からは悪い実ができる
NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
私の健康を祝して乾杯してくれ
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
幸せのまんま放っておいてほしい
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
盗作は情けない
人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
パンのための学問
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
みんなの前で歌わんかったら下手になる
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて
壁は自分自身だ
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること
私は捜し求めない。見出すのだ
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
信仰と信頼の間にのみ平和があります
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。