芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。
壁は自分自身だ
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
色彩は、それ自体が何かを表現している
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
経営者は常に現実的でなければならない
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ
(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
自分じゃない自分を出すのが怖い
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
自分は燃え尽きることは一生ない
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
人に善をなせば、とがめられるものだ
どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
その瞬間に爆発していればカッコいい
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
複雑なものはうまくいかない
どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
文明とは、麻痺状態のことだ
酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。