考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
見放さなければ、失うということもありません
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
長く生きてるほうが絶対おもしろいよ
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない
煮詰まったらドラクエやる
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね
自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
人間の運命は人間の手中にある
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
今やらなきゃならないことは今やれ。今しかないこの時間はもう、取り戻せないから。
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない
学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ
この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます
他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
その日、歩ける一歩を歩くだけ
偽物が本物に変身する瞬間がある
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
お金って、ただの道具じゃないですか
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。