


何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない

例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

音楽にはいろんな力がある

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

笑ってくれりゃあ本望だよ

赤がなければ、青を使います

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

芸術は何かっていうと、抑制だよね

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)

創造性の最大の敵は良きセンスだ

人間は、毎日生まれ変わる

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

仕事は点ではなく線だ

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

基本的に私は家の中で曲を作る

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

やらないってのも一つの行動だと思う

清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。

現状を把握しなければ未来は語れない

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

天才のランプは人生のランプより早く燃える

音楽っていうのは、96%まで技術です

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

自分じゃない自分を出すのが怖い

だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

人生をね、棒に振りたいんだよ
