


見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

煮詰まったらドラクエやる

昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである

もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)

Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。

生涯、創造者でありたい

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

心が揺れたところで決着はもうついてんだ

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

やらないってのも一つの行動だと思う

例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました

彫刻に独創はいらない。生命がいる

東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

型にはハマらずにいたい

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね

日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ

コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

感情が伴わない作品は、芸術ではない

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

すべてはむなしい

楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする

低気圧が僕を責め立てる。

芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い

だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
