


別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

青年は決して安全な株を買ってはならない

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ

苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

自分じゃない自分を出すのが怖い

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

最初にして最高の聴き手は自分自身

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

生きてると後悔はつきもの

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

人に善をなせば、とがめられるものだ

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

「お客様は神様」ですから

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

人間は、毎日生まれ変わる

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる

盗作は情けない

自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。

感情が伴わない作品は、芸術ではない

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

その瞬間に爆発していればカッコいい

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
