頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。
皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
何があっても、賛成反対両方あるのは自然。
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
本気も本気 “大本気” や!
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)
その日、歩ける一歩を歩くだけ
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
低気圧が僕を責め立てる。
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
何と嫌な商売だ
自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す
私は天才を自覚している
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。