


いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事

Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

生まれる前からあなたの側にいた曲です

ああ、俺にもできそうだ!

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

音楽っていうのは、96%まで技術です

大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

第一番に稚心を去らねばならぬ

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

忍耐もまた行動の一つの形態だ

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

リンゴひとつでパリを征服する

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

自殺はやめろ。生きろ。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

感情が伴わない作品は、芸術ではない

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

創造の最大の敵は「良い」センスだ

私の健康を祝して乾杯してくれ

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

青春の夢に忠実であれ

生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。

ロックンロールは続いていくんだよ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

誰のようにもなりたくない

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

運が悪かったんだよ、お前らは

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
