僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
自分が興奮できないようなものではダメ
感動することこそが、人類の最も贅沢なこと
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。
女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
全部は混沌としてるから面白い
簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
楽しいと思った瞬間、そこがゴール
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
苦痛は短く、喜びは永遠である
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
さぁライヴハウスへ帰ろう
生きているうちに天才って言われたい
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
パンのための学問
経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。