


私は自分がやりたいことをやっているだけ

正義の尺度は声の多数ではない

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、おまえら、覚悟決めろよ

石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。

私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

聴くのをサボんなよ。俺歌うから

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない

平等は人道の神聖な法則である

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

嫌われることは愛されることより難しい

自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし

名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

感情が伴わない作品は、芸術ではない

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ

中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

若さと年齢は無関係

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う

楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。

絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
