最も重要なことから始めなさい
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
なんでもいいから、まずやってみる
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……
ロックの基本は愛と平和だ。
理論というものは現実に従って変化していく
愛することは、愛されること
僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。
経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
見放さなければ、失うということもありません
行動がすべての成功の鍵だ
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
お金って、ただの道具じゃないですか
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。
何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
決断の場面においてはトップは常に孤独である
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。
基本的に私は家の中で曲を作る
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
優れた医者というのは、正しい診断を最も多く下す人ではない。誤った診断をすばやく見つけ、それを直ちに改めることのできる人である
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
自然に線は存在しない
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる
あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。