


(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

ロックの基本は愛と平和だ。

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に

想像できることは、すべて現実なのだ

さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です

もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

見放さなければ、失うということもありません

忍耐もまた行動の一つの形態だ

大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

先に見出し、後に捜し求めよ

群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである

やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。

ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

残る音楽を作りたい

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。

この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

人間は、毎日生まれ変わる

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

芸術は何かっていうと、抑制だよね

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

今やらなきゃならないことは今やれ。今しかないこの時間はもう、取り戻せないから。

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

全部は混沌としてるから面白い

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
