


私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

芸術は、意識と無意識の融合である

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である

俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

いつだって、今やるのが一番いい

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

仕事は点ではなく線だ

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。

やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

悪い種子からは悪い実ができる

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません

優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き

日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。

すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている

正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
