デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
音楽が自分のすべてです
何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
世の中は悪くなっている。おそろしく退化している。何も考えない人間が増えている。甘ったれたバカが増殖している
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
世界史は世界審判である
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
わしがゾンビになったらそりゃお前 世界の破滅やろ?そん時このわしを止められんのは……桐生ちゃん お前だけや。頼めるな?
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
もともと人は全員、孤独なんだよ
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
音を出すことで何を伝えたいのか
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。