何があっても、賛成反対両方あるのは自然
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
いや、40年と30秒だよ
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる
真摯さはごまかせない
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
嫌な事は3秒で忘れる
(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました
なんでもいいから、まずやってみる
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
夢見ることをやめてはいけない
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
青春の夢に忠実であれ
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
現状を把握しなければ未来は語れない
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
やらないってのも一つの行動だと思う
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
普通なことが特別で特別であることが普通なこと
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない
なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
型にはハマらずにいたい
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。